2007年11月3日土曜日

祖父のこと

 私の父方の祖父は土建業を営んでいた。元々は赤貧から身を起こした石工であったという。澄んだ目をした温厚な姿は気品があり今もはっきりと思い出すことが出来る。
  太平洋戦争前には軍神と崇められた橘中佐を祀る県社橘神社の造営や仁田峠登山道路の新設に関わる仕事などで財をなしたそうだ。
 他に港湾建設の仕事特に難工事には決まって駆り出されるほどの技術を持っていたらしい。
 ただ入札制度などの政治的な関わりを嫌い3人いた息子の誰にも後を継がせなかった。
 長男は銀行員、次男である父は公務員、三男は教育者になった。
 幼い頃、本家の別棟にある祖父の隠居所の1階には発破、今で言うダイナマイトの信管が整理されたハンマーや石のみなどの他の道具の中に整然と置かれていたのを目撃したことがある。
 我が家の中庭に井戸を掘る必要が出来たとき祖父のかつての部下の方が信管で大きな岩をいとも簡単に爆破粉砕しあっという間に井戸が出来たことは未だ記憶に新しい。
 幼稚園から小学生のころ、この祖父に連れられてあちこちに行った記憶がある。
 幼稚園時代には所有していた山の木の生育具合を見に、タクシーで持ち山の入口近くまで行き、そこからは歩いて山の境界線を確認しながら一周したり、雑木林の中に複数ある炭焼き釜の炭作りの最中の釜を点検したり様々な経験をさせて貰った。
 何度かそんな経験をしたのだが同行したのは決まって本家の長男と分家の長男の私の二人だけだった。 後から考えてみれば、福岡のスポーツセンターで行われていた大相撲九州場所にも連れて行かれたのはその二人だけだった。 事ある毎に従兄弟(本家の長男)と二人、何処にでも連れて行って貰ったような気がする。 そんな山の一つが父を経由して遺産の相続という形で孫である僕たち兄弟姉妹のものになった。 僕が幼稚園時代に祖父の手ほどきを受けて植林した杉と檜がもう五十歳以上になり周囲1メートル近い。


 
 

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