2007年8月10日金曜日

朝青龍問題

これをどう考えるかは日本の大相撲文化をどう見ているかという事と同じである。
 モンゴル相撲と日本の国技としての大相撲は文化的裏付けがそもそも異なるのである。
 日本の大相撲の世界は古くからのしきたりや習わしが一つの格式として確立されている点で日本固有の文化である。
 以前横綱審議会の委員をされていた高橋義孝氏がもし今も存命ならば一刀両断横綱資格を剥奪する結論を出された事だろう。いやそもそも横綱としての風格や品格にかけるとして横綱への推挙を拒否された筈だと考える。
 日本相撲協会にとって強い横綱力士の誕生は待望久しい事であったかも知れないが、日本の相撲文化を全く理解していない力士を日本の文化的象徴である横綱にした事自体に根本的誤謬があったと言わざるを得ない。
 横綱の品格はとりもなおさず日本人の美意識の象徴だからである。
 横綱の一挙手一投足は日本人である我々の一挙手であり一投足ではないか。
 はっきり意識している人は少ないにせよ相撲ファンの日本人なら皆同じアイデンティティを持っている。
 白鳳が横綱に昇進した途端朝青龍に厳しく当たり始めたご都合主義の協会も笑えるが強ければどんな我が儘も黙認してきた情けない親方の存在が哀れである。
 

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