2007年6月4日月曜日

正しい判断と賢い判断

正しい判断が世間的に賢い判断だとは限らない。
 言うまでもない事だが何か正しいと思って行動した結果、世間的に見れば正しくないつまり全く愚かな判断だったと言うような事はよくある。しかし愚かだったという判断基準はあくまでも世間的社会的な判断基準に照らしての事である。
 長い人生の中では正しいか間違っているか確信が持てないまま、正しいと思ってした判断が逆に誤りだったりする事も確かに時々はあると思う。真実は反対に世間の方が間違っているにもかかわらず。
 けれどもここで正しい判断が出来なかった自分自身を責めてみてもどうなるものでもない。
 大切なのは自分自身の思考過程がそういう判断を下した事をじっくりと検証する事。
 世間が間違っている場合だってあるのだと思って検証してみる。
すると全く反対に世間が間違っていたなどという事もままあるのである。
 ドストエフスキーの”白痴”という小説をご存じだろうか。
 世間では白痴扱いされている子が実は普通の人に見えない本質をあるいは真実を全く透明な眼力で見抜いていたと言う事実。
 世間なんてこんなものであると思う事も大切である。

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