あかねさす 紫野ゆき 標野(しめの)ゆき 野守(のもり)は見ずや 君が袖ふる
(茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流)
高校時代に真面目に古文の勉強をした人なら誰もが覚えている歌である。
額田王が大海人(後の天武天皇)に向かって詠んだうた。
紫野は紫根草(通称紫草:”むらさき”と読む)の栽培してある土地。
高貴な古人のみが着用する事を許されていた衣服の色、古代紫。
その染色に用いる色素染料の原料で薬草としても用いられたのが紫根草。
紫野というのはその栽培地のことである。
病に臥した高貴な人が紫色の鉢巻きをして闘病している様は誰でも一度は何かの折りに目にした事があるはずだが、当時からその薬効が知られていた証と言える。
縁あってこの絶滅危惧種と言われる紫草(むらさき)の栽培に日本で初めて成功した石川氏と知己を得た。
彼が美しい古代紫に染めあげた布地に染め抜かれたこの歌に古人の感性の豊かさを再発見させられる事になった。
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