2007年4月13日金曜日

相手の立場になってものを考える事

が出来ない人間が如何に多いか最近分かるようになった。
 家庭内では嫁姑の間の確執などもこの類かも知れないがこの程度は少し努力すれば問題にもならない。
 しかし社会的な問題では利害関係が対立している時にこれが出来るか出来ないかで結果は正反対のものになる。相手の立場に立って考えるというのは言い換えれば思いやりである。
 争い事の原因というのは相互の無理解や理解不足によるものが多いが、一方が加害者である場合
被害者の立場でものを考える能力(つまり思いやり)が加害者側に著しく欠如していると間違いなく争議になる。
 少々の意見の申し入れでは全く取り合う気にもならない、少し強く抗議されて初めて相手の話を聞いてやろうか程度、いざ本気で怒って抗議されて初めて事の重大さに気付く程度なのが普通である。
 そして具体的に争議が訴訟に発展しないと本当に反省すべき事にさえ気付かない。
 もちろん言い分というか正当性というか、争議の場で議論になって初めて本音が出てくるような場合、やはりとことん双方の主張を述べあい裁判所など第3者の判断を仰がざるを得なくなるのは仕方がない。
 しかし加害者側の判断に根本的な誤りがあった場合はそれを前もって正そうとしても無駄である。



 

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