地方と都市との格差の拡大も同時に感じないわけにはいかない。
田舎に帰ると改めて本当に愕然とするし何となく侘びしささえも感じてしまうのは私だけだろうか?
最近一番考えるのはこれからも今までのようにのんびりとした田舎暮らしが続けられるのだろうかという事。むしろ田舎の方が暮らしにくくなりつつあるのではないか?
東京と地方の所得格差がどんどん広がっているのは言うまでもないことだが、芸術・文化面でも生活環境の面でも全ての点で地方がどんどん置いて行かれつつある感じがしている。
同じ東京でも業種間の生産性の格差が所得格差を生んでいるおり結果的に生産性が低い業種は存続不能になって淘汰されつつある。
正社員と非正社員の所得格差も更に大きく広がってきている。
格差社会化が予想以上の早さで進行しつつあるのを実感するのは私だけではないはずだ。
国民の四人に一人と言われる消費者金融に依存する低所得者層は結果的に尚一層、持てる者たちの食い物にされている。消費者金融の原資は元は持てる者達の資産だからだ。
以前は銀行から間接的に消費者金融を経由していた高利での貸し出しに最近では銀行自ら手を染め始めている。
濡れ手に粟で大儲けできるのならプライドも何のその、銀行や元締めの大蔵省じゃなかった財務省?はヤクザな事に何の抵抗も感じることは無いのか?(日本の銀行マンの社会的地位はもう少し高い位置づけにあったのではないか? これでは欧米のように、低い地位しか与えられていない銀行マン達の仲間入りだ。)
これらがいかに政策的に行われているか低所得者層の人たちが知る由もない。
政府自らがこれまでの日本の一億総中流社会から高額所得者層と低所得者層に大きく分離する方向に政策転換した結果、所得格差が広がり、暮らしにくい世の中になってきたのだ。
一部の金持ちは更に金持ちになるが残りの貧乏人達は余程の努力と機会に恵まれない限り更に貧乏になる社会の到来である。
今の時代に適合した高い能力があればいくらでも豊かになるチャンスがあるのは事実かも知れない。
しかしグローバル化しなければ世界に通用しない世の中とは言え、何が何でも全て弱肉強食にするのは動物の世界と同じではないか?
全てが金、金、金。金さえあればほぼ何でもできるし、モノが買えたら幸せになれると皆が考える時代。
その先には何があるのか?幸せの基準が違うのじゃないか。
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